奴隷の雑記帳

奴隷がてきとうなことをかきつらねます。

2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧

奪う側にまわる人々

人は被害者になりたがる。 実際に被害を受けていたとしても、 大衆にそれを訴えかけるということは奪う側に回ることになる。 自分の受けた仕打ちについて、考えるべくは自分の弱さと、 そして、 自分より弱い相手のことだ。

偽善について

あなたが他の誰かのために何かをする。 その行いが本当に誰かのためになっているのだろうか。 あなたはなぜ誰かのために何かをしようとおもったのか、その動機は何か。 善を行った人というのは、周囲の人から褒め称えられる。 私は、褒め称えられることを目…

私にはわかる

兄弟というものは不思議なもので、自ら選択できない運命と全く異なる役割の両方が含まれる。 私には本当の意味での兄弟はいないと思っている。私の少年時代は汚れた荒野と暴力の記憶に満ちている。私はこれらに蓋をしているため、はっきりと回想することがで…

多くの人についてのパラドクス

ある集団。 例えば、国、人種、仕事、会社、コミュニティについて、 その組織の内の一人が悪事を働いたとき。 多くの人々は、組織全体を評価しがちである。つまり、一部を見て、全体を判断してしまうのだ。これは、自傷行為であふ。 多くの人々、つまり、多…

サラリーマンという特殊な生き方について

なにか大きな組織で働くというのは、現代では、とても推奨された生き方となっている。 しかし、 それは特殊な働き方だと思う。 〜〜〜 実際に私は、とても大きな組織で働いている。本当に毎日嫌な気持ちである。団体というものは美しい。だが、反対に個人と…

善と悪の定義

中学生だった頃、体育館などに集められてされる校長先生の大演説のときにはよく垂直に浮遊してどこかに行ってしまいたいと思った。もしくは、校長の立っている演説台に火の玉を飛ばして燃やしたくなった。 僕の心はいつもぐちゃぐちゃだ。 今も昔も変わらず…