奴隷の雑記帳

奴隷がてきとうなことをかきつらねます。

偽善について

あなたが他の誰かのために何かをする。

その行いが本当に誰かのためになっているのだろうか。

あなたはなぜ誰かのために何かをしようとおもったのか、その動機は何か。

 

善を行った人というのは、周囲の人から褒め称えられる。

私は、褒め称えられることを目的とした善を偽善だと考える。

結局は、自分自身のためにやっているのであって、誰かのことなんてどうだっていいのだ。

偽善者は自身の正当性を証明するために善を利用する。自分の行いが実際には相手のためにならないことを理解している場合でも、打算的に無意味なことをする。相手のことなどどうでもよく、偽善者の正しさの証明に利用されてしまう。偽善者を見分ける方法は、自分の犠牲的な行いを自ら周知する努力をしているかどうか、だ。そのようにして、相手の無能さを周囲の人にわからせようとする。偽善を受けた人は鈍感な場合は、喜び、繊細な場合は、憎しみを感じる。彼らが奪うものは、人間の尊厳である。寄付というものはひっそりと行われなければならない。