奴隷の雑記帳

奴隷がてきとうなことをかきつらねます。

私にはわかる

兄弟というものは不思議なもので、自ら選択できない運命と全く異なる役割の両方が含まれる。

 

私には本当の意味での兄弟はいないと思っている。私の少年時代は汚れた荒野と暴力の記憶に満ちている。私はこれらに蓋をしているため、はっきりと回想することができない。

 

しかし、私が不条理の被害者であり、同時に私が汚れた獣であったことはたしかなことである。

 

私の両親は、私を貶め、暴力のはけ口に使った。

私はこの体験から私自身が嫌いになった。

なぜなら、わたしはこの人たちから生まれたからだ。私はずいぶんと前に死のうとしていた。はじめて死のうとはっきり思ったのは小学4年生のときだ。私は、そのころある同級生と毎日、喧嘩をしていた。

その頃のことは鮮明に覚えている。

私は彼の背中をリコーダーで力の限り殴った。

彼は帰りの会が終わると同時に私の顔面を拳で思いっきり殴った。

痛かったけど、じんじんとくる痛みの快感と先生の保護を受けることができたことは喜びであった。

そのようにして、問題行動をおこしていた私は、先生から私の親に学校での出来事を伝えてしまった。

私は、親から同級生の彼から受けたものよりも酷いことをされた。

髪の毛を掴まれ、体を持ち上げられた。

私の髪の毛はたくさん抜けた。

学校の授業のときに同級生たちに心配されるほどに抜けた。

長時間に及ぶ説教。

ひたすら続く殴打。

家にいるときは一瞬も休む暇はない。

私は、あのときの私は、奴隷だった。

ぼうっとしていると、

ぼうっとするなと言われ、そこから数時間に及ぶ説教が始まる。

この説教は、きっかけとなった出来事だけでは終わらず、過去にわたしがやってしまったことについて、その動機と解決策についての話に移り変わる。私の提案する解決策はたいていの場合は過酷なものか、革新的なものでなければ却下される。

永遠に続くのだ。

私の少年時代は地獄である。

私は地獄に長くいすぎた。

私が保護されたのはあまりにも遅かった。

私は自覚している。

私自身が汚れた者であることを。

私は、善良に、少年時代を送りたかった。

でも、私も傷つける側になってしまっていた。

どうしたらいいのだろう。

生まれたときから、

育った環境が、

恵まれていなかったら。

私は後から知るのだ。

世の中の大多数の善悪の定義を。

そして、私はどちらかといえば悪であって、

それが私を貶める。

私は、大多数の人々とは生きていけない。

生きるとすれば、一部分のみであって心を通わせたりすることはできないだろう。

私は孤立した一つの種である。