奴隷の雑記帳

奴隷がてきとうなことをかきつらねます。

善と悪の定義

中学生だった頃、体育館などに集められてされる校長先生の大演説のときにはよく垂直に浮遊してどこかに行ってしまいたいと思った。もしくは、校長の立っている演説台に火の玉を飛ばして燃やしたくなった。

 

僕の心はいつもぐちゃぐちゃだ。

今も昔も変わらずに。

ガラス瓶に入ったピーナッツクリームを床に落とした後のものに似ている。

守るものと守られるものが混在して無意味に、そして傷をつけあっている。

虚しさ、寂しさ、不安。

 

人は生まれたときが最も弱い。

だが、反対に最も可能性がある。

私達は生きていると段々と力をつけていく。それと同時に可能性を失っていく。死ぬというのは、可能性の消滅とも言えるし、もっとも強いとも言える。私達は強くなりたいがために死にたくなるのかもしれない。弱さとは生にすがることではない。死ぬことによって強くなろうとすることが弱いのだ。

私はいつも死にたいと思っている。だが私はやらない。

私はあまりにも弱すぎるために、死ぬということすらできない。

何もできない無能な、ありふれた人間なのだ。

私は多くの過ちをしでかしてきた。

それは私をあらゆる面で貶めてしまい、死への意欲を一層高まらせるものだ。

私が無知で馬鹿な人間だから、だ。

生まれたときから、私が善と悪について知っており、理解していたのならわたしは何もしなかっただろう。

善と悪というものを定義したのは、誰なのだろうか。

悪を行ったものは、その時点から、自らのために定義と立ち向かってゆかなければならない。そのようにして真理を知るのである。